2009年10月07日
<艾 未未>の作品群を鑑賞しに、開港百五十年の横浜から、六本木に行った秋のひととき、彼の中の巨大な記憶装置とその純化した祖国・中国のとらえ方に目を釘付けにされた。心奪われたのは、ホンモノの茶葉で作られた閉じられた建造物、「ティーハウス」であった。その空間に立って、僕は薫るその心にこそ、何千年と続いた伝統と今、此処にあることの価値観を自由に発想することを試されている錯覚にとらわれた。茶葉の香りは単純に心を癒してくれた。だが、造形物の硬質に閉じられた世界と相まって、鑑賞者がこの二十一世紀に生きる根源を突き付けられるのである。映像作品「長安通り」は、全篇が十時間を超える大作だ。北京の長安路を固定カメラが、約一分ずつ、移動しながら撮影を繰り返す。時間の記憶と北京の空気を、これも丸ごと閉じ込めて動じない。あの天安門に続く道が…。日本在住の華僑として、僕は何度か祖国・北京に旅をしたことがある。そのとき感じた高ぶる気持ちを、この映像作品「長安通り」は、否定こそしなかったが、日常の風景の流れをポンと提出してくれる潔さに、遙かなる今を哲学する。
彼の経歴をみると、下放での生活の苦難を乗り越え、N.Yへ、そして昨年のオリンピック・メイン会場のデザイン・クリエーターとして走りつづけるようすを窺えるが、伝統とその破壊の永遠の繰り返しを、無垢になって創造し続ける巨大さには、個の発想が、どこかにある。それは、街のにぎわいの中に、ふと、静謐な個が宿るような不思議な営為である。
六本木ヒルズからの帰り道、考えてみれば、横浜の中華街も、もとはと言えば、田んぼの畦道から始まった景色であったかも、と地下鉄の中でふと、我に返った自分がいた。そう言えば、妻と森美術館に入る前に、東京タワーをバックにフラッシュ付きの撮影の列に並んだのだった。アノ夕まぐれの三百三十三米のタワーも、二〇一六年のリオのオリンピックの頃には、次のタワーに二倍近くに追い越される…。東京スカイツリーが出現するらしい。これも疾走する都市空間の不思議かも? 9月
シルバーウィーク中・妻と散歩
posted by リンちゃん at 01:07|
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日記
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